四摂法

 大部分のわたしたちは世捨て人として社会から離れて生きることはできません。よほど資産があるかして全然働かなくてよい人はどこかにこもって生きるということもできるかもしれませんが、そうでなければ、なんかして働くという面を通して社会と接せざるを得ないわけです。社会と接するというのは、人と交わるということです。好むと好まざるとにかかわらず、人は人と接する、交渉することを抜きにできないわけです。

 ひきこもりという現象があります。彼らはたいてい家族以外の人とは接触せずに、生きているようですが、それは家族が養っているからです。彼、ないし彼女個人で社会から離れては生きていられないわけです。その意味で病人と同じ立場の人と考えていいと思うんです。

 ここでは、そういう人たちのことはおいて、良寛的に生きたいし、あるいは世捨て人のように生きたいと願っているが、どうしても社会と接触せざるを得ない人たち、その人たちはどう他の人とつきあっていけばよいのかということを考えてみたいと思います。

 なにか抽象的な指針みたいなものしかないとどうにもならないんですが、かといってだらだらと具体的な列挙はあるんだが、その主題が特徴づけられていないとそれを全部覚えて理解してしかもそれが示していないものが現れたとき、今度はどういう方向がいいかわからず茫然とたちすくしてしまうということになってしまう。

 ところがこにに「四摂法」というものがあって、その方針、その具体例が示されているという便利なものがあるんです。しかもそれを示しているのが道元だということでこれは驚きなんです。で、道元といえば主著は「正法眼蔵」ですが、この著以外でも道元という人は抽象的特徴づけを示していると同時に実に具体的に指示もしているんです。これは実は、両輪なんですね。抽象的なだけでは、それをもって人生を生きようとするとき具体的になったときにまったく異なる行動を同じ指針が根拠となる場合がある。それを防ぐ役目もしているわけですが、その特徴を正しく理解する役目も果たしているわけです。