一期一会

 わたしの母親は今九十四歳で介護状態となって、ある施設に入っていますが、「人生ってのは出会いだよ。」というのは、母に教わったことだ。「一期一会」という言葉を聞かされたのは小学生の頃だったか中学に行ってからだったか今では定かではないが、母からの言葉としてはよく覚えている。この語自体は千利休が言った言葉として母に聞く前から知識としてはあった。たぶん国語の熟語として覚えていたのだろう。ただ、母が茶の精神を凝縮した言葉だといって身近の人から聞かされたために単なる言葉以上のものとしてわたしに意識されたのだと思う。

 「一期一会」。印象的な人や忘れ難い人に出合うたびこの言葉をかみしめる。「壮士ひとたびさってまた還らず」も一緒に思い起こされる。あろうことなら壮士に出会いたいものだと思ったからだ。自分の人生を振り返っても、壮士と思える人は多くはなかったと思う。しかしまた、志を持った人というのは意外と多いなというのも印象だ。そういう人に出会うと人生捨てたもんじゃないという文句が湧く。     

 わたしが子供の頃、わたしの育った清水市(現静岡市清水区)では、今でもそうだと思うが船舶航海士試験を行っていた。その資格取得のために何カ月か当地に滞在して試験を受ける人がいて、他県から集団で来た。うちでは一時その賄い付き下宿を引き受けたことがあった。試験が終わると彼らは帰るのだが、その出発の時に居合わせた時わたしは小学校六年生であったが、おいおいと泣いて別れを惜しんだ。

 人との別れは子供の頃は涙を流すほど悲しいことなのに、だんだん年を重ねてくるとこれが普通のことだとの認識と諦めを持ってきて悲しいと思うことがあっても涙を流すことはほとんどなくなる。ただその時は「一期一会」という言葉をかみしめる。

 人生とは縁と一期一会だというのが実際に生を重ねていくと真実として受け入れていくようになった。

 一期一会というのは、普通の時でも真理ですが、これが戦時中など死が切実に迫っている時など余計感じることではないかと思います。その時は、こと改めて言わなくてもお互いに胸にせまるのではないかと思います。

 なぜこんなことを持ち出したかといいますと、お茶の宗匠の千玄室さんは戦時中特攻隊に所属していて戦争終結の結果生きて戻り茶の湯に戻ったといういきさつを知ったからです。

 私がそのことを知ったのは偶然です。NHKの教育テレビではいろいろな講座というのを開いています。その中で茶の精神という何回か続きのものがありまして千玄室氏が講師となって茶の精神というのを話されていました。その中でご自分の特攻隊経験に触れられたわけです。茶というものが戦国時代に武士に流行ったというように、死というものがいつ自分を襲ってきてもおかしくない時代のものですから、特攻隊とか戦争という時代に茶があってもまったく普通のことなので千氏がそれに触れられたのはまったく不思議でもなんでもないことだと思います。しかし、放送された当時は敗戦後何十年たった後ですし、それを聞いたわたしもまだ十代だったでしょうから、特攻隊の生き残りと思ってもみない人がそう明かしてその経験と今の人生を語るというのは衝撃でした。そこで感じたのはやはり生きているというのは、大変不思議な経験なので、その中で人が、この人に出会うというのは、大変不思議な稀有な出来事としか思えないということです。

 人と人が出会い、何かが起こっても起こらなくともそれは不思議なことだから、大事にしよう、仇やおろそかにすまいという気持ち、これを持ってほしいと思うんです。その気持ちがあれば、ほんとうは自分にとって素晴らしい出会いだったにもかかわらず、それを無碍にしてしまうということは少しは防げるんじゃないかと思うからです。