己の顔を点検せよ

 人には闘争本能があると言われています。そのため何かに挑まずにはおれないのだと。そういうことができなくなるというのは生存意欲が減退しているのだと。
 もしそうであるとすれば、人は「自己」に挑むべきです。
 汝自身を知れというのは古代ギリシア以来の難題です。いままで人類はこの難問に挑み、はじき返されてきました。闘争本能を抑えられないのであれば、ぜひこの難問に挑んでください。
●己の顔を点検せよ
 顔というのはわたしには不思議です。親や祖先の誰にも似ていない人というのはいないでしょう。両親の不思議な塩梅がその造作に顕われているというのは寺田寅彦が電車で見かけた親子を見ての評です。彼が感嘆するほど、自分の顔を仔細に見ると両方の親の片鱗がしのばれてきます。これは年をとっていくほどに現れてきます。中年を過ぎると誰もが鏡の向こうに父なり母なりを見出して驚く時を迎えるでしょう。
 顔の中でも目は心の窓といわれているくらい心を映すと言われています。なぜ視覚器官にすぎない目がこころを反映させるのかわたしにはわかりませんが、確かに目を見ているとこちらを疑っているとかさげすんでいる、尊敬している、信頼している、すがっているなどが感じられるでしょう。人相学が古今東西で発達してきたのも効果があるからでしょう。人相学に過度に頼るのは、危険だと思いますが、自分自身の顔を仔細に点検するのは、ある程度こころの状態を点検することになるとわたしも思います。
 そこで毎日手鏡を覗いて主に目の周辺を見ることをお勧めします。人相学で言えば、眉根の辺りとか頬、唇などもその人の人格を反映しているということですが、わたしにはその根拠は理解できないので、わたしは目の周辺の点検だけをお勧めします。これはわたし自身長年の習慣にしていることで、確かに点検する意味があると思えるからです。
 目を見て、意欲が減退していないか、変にうわずっていないか、邪さが出ていないか、卑しさがないかといったことを主に目を見て判断しているのです。こんな程度ですからちょっと見るだけで済みます。